• Introduction

    名だたる大家たちが極めつけの傑作を書き上げてきた弦楽四重奏こそ、
    クラシック音楽における究極の編成ではないだろうか。
    しかしながら傑作揃いなだけに限られた作品ばかりが
    演奏されがちなこの分野に、どれだけの未来が残されているのだろう?
     
    そう、音楽に残された未知なる可能性を追い求める
    「現代音楽」というフロンティアを開拓し続けるもの、
    そこに挑戦し続けるものだけに、この芸術の未来が託されているのだ。
     
    最も古典的で完成された演奏様式と想像を絶する「超」超絶技巧をもって、
    最も新しい音楽を演奏することを選んだフラックス・クァルテット。
    彼らこそが、「最後の弦楽四重奏団(ラスト・クァルテット)」の名に相応しい。

  • 公演概要

    Concert Infomation

    日時 date
    2015年10月19日(月)19:30開演(19:00開場)
    会場 place
    (京王井の頭線 永福町駅下車 徒歩7分/東京メトロ丸の内分岐線 方南町駅下車 徒歩10分)
    出演 Performer
    フラックス弦楽四重奏団、エリック・ヒューブナー(ピアノ)
    プログラム program
    ~現代音楽、演奏曲目についての解説~
     
    コンロン・ナンカロウ(1912-97):弦楽四重奏曲第1番(1945)
    エリオット・カーター(1908-2012):ピアノ五重奏曲(1997)
    コンロン・ナンカロウ(1912-97):弦楽四重奏曲第3番(1987)
     
    ~出演者とのダイアローグ~
    料金 price
    4,500円(1ドリンク付き/当日精算)
     
    ※学生:2,000円(受付で学生証をご提示下さい)
    お問い合わせ contact
    メール:  info@music-dialogue.org
    電 話: 080-1062-8304
    ご予約 reservation
    申込フォームに必要事項をご記入の上、お申込下さい。
  • 出演者プロフィール

    Biography

    フラックス弦楽四重奏団

    FLUX Quartet

    恐れを知らない新しい音楽を生み出す重要な楽団

    (ジョシュア・コスマン、サンフランシスコクロニクル)

     

    弦楽四重奏に新たなルネッサンスをもたらした

    (カイル・ガン、ヴィレッジ・ヴォイス)

     

     60年代を代表する芸術運動「フルクサス」の哲学に影響を受け、バイオリニスト、トム・チウが90年代後半に結成したクァルテット。流行やトレンドに流されず、過去の先駆者と未来の新しい声をあわせ持つような、妥協のないレパートリーを開拓してきた。20世紀の巨匠であるケージ、フェルドマン、リゲティ、ナンカロウ、シェルシ、クセナキスなどはもとより、今日の革新的作曲家であるマイケル・バイロン、フリオ・エストラーダらによる100を超えるレパートリーをもつ。トーマス・バックナー、オーネット・コールマンなど影響力のある数多くのアーティストと共演も行っている。

     

     カーネギーザンケルホールやケネディセンターなど米国の由緒あるコンサートホールから、ニューヨークの実験的音楽スペースまで幅広い会場での演奏をこなし、ヨーロッパ、南米、オーストラリアなど、国際的にも活躍している。これからの音楽を切り開くことをミッションに掲げ、委嘱にも積極的に取り組む。米国でも評価の高い数々の助成団体から支援を得ており、米国各地の大学でレジデンシーやワークショップを通じて、新たな作曲家の発掘も行ってきた。

     

     既存の境界を超えることが、フラックス・クァルテットの特徴であり、ジャンルを超えたミクスト・メディアのアーティストとのプロジェクトも積極的に行っている。これまでの共同制作には、コンセプチュアル・アーティストのジュディ・ダナウェイ、振付家・ダンサーのパム・タノウィッツ、シェン・ウェイ、デジタル・アートのOpenEnded Groupなどが関わった。最新の作品では、マシュー・バーニーとジョナサン・ペプラーによる映画『River of Fundament』に出演し、同サウンド・トラックに参加している。

    エリック・ヒューブナー

    Eric Huebner (Piano)
     17才でロサンジェルス・フィルハーモニックでデビュー。伝統的なものから最新のものまで様々な楽曲の演奏に世界的な定評がある。2012年よりニューヨーク・フィルハーモニックのピアニストとなり、リンドベルイ、ストラヴィンスキーなどの作品で起用されている。リゲティのピアノ協奏曲、メシアン「異国の鳥たち」で指揮者デイヴィッド・ロバートソンと共演。ピューリッツァー賞受賞者の作曲家ロジャー・レイノルズによるピアノエチュードなど数々の新作初演をおこなっている。ニューヨークを拠点とする現代音楽のアンサンブルとの共演も多数。一方、ニューヨーク大学バッファロー校で、助教を務め、学部生、大学院生に20世紀のピアノ曲およびpiano literatureを教えている。
    http://www.erichuebner.com/about/
  • 作曲家

    Composer

    アメリカ音楽史上最大の問題児?

    コンロン・ナンカロウ(1912-97)
    【ニートでヒモだった作曲家】
     
     芸術で飯を食うというのはやはり大変難しい。アメリカ芸術音楽の父であるアイヴスは保険代理店を経営し、ミニマルミュージックの巨匠ライヒもタクシー運転手や引越業などで食い扶持を稼ぎ、あの「4分33秒」で有名なジョン・ケージもベビーシッターなどのアルバイトで生活費をまかなった。
     
     それに対し、このナンカロウという作曲家は音楽で飯が食えなかったにも関わらず、「ニート」で「ヒモ」だったというかなりの問題児。
     
     若い頃こそ働いたり従軍したりしたものの、40歳手前で父親の遺産を譲り受けてからの約20年間はほとんど働かずに遺産を切り崩して生活し、それが底をついた後は、日本人妻の給料で生活費をまかなっていた正真正銘の「ニート」で「ヒモ」。まるで売れないバンドを性懲りもなく続けるダメ亭主みたいな作曲家なのである。
     
     では、仕事もせずにナンカロウは、どんな音楽を書いていたのかといえば、「人間には演奏不可能な作品」だったというのだから更にたちが悪い。現在であれば、演奏不可能な音楽をパソコンに打ち込んで演奏させることも簡単になったが、当時はそうもいかず。代わりにナンカロウは、オルゴールのような方法でピアノを演奏してくれる「自動演奏ピアノ」を自らの相方として、ひとり淡々と作曲し続けた。
     つまるところナンカロウは、一部の知人以外からは理解もされない音楽を書いている「知る人ぞ知る変人作曲家」でしかなかった……1980年までは。
     
     1980年――、ナンカロウの運命は一変する。ヨーロッパを代表する現代音楽界の大スターで、最も影響力のある作曲家のひとりであったジョルジュ・リゲティがナンカロウの音楽を聴いて大きな衝撃を受け、これ以上ないほどの熱烈な賛辞を送ったのである。
     そして、それ以来というもの、世界各地から作曲の委嘱や、講習会・講演の依頼が舞い込んだ。更に1982年には財団より30万ドルもの給付金を得ることができ、70歳前後にしてやっと作曲家として経済的に自立することが出来たのであった。
     
     時代がついにナンカロウに追いついたのだ。

    アメリカ音楽史上最高の優等生?

     エリオット・カーター(1908-2012)
     【103歳で亡くなるまで生涯現役
     
    21世紀以降、亡くなるまでのカーターは現代音楽を専門とする演奏家以外からも多くの尊敬を得たことにより「存命するなかで最高の作曲家」としてもてはやされたといって過言ではない。カーターを讃える音楽家の1人であるダニエル・バレンボイム(指揮者・ピアニスト)はカーターの凄さを次のように語る。
     
    「カーターは信じられない程の教養を備えていました。とりわけ、ブルックナー、ドビュッシー、ストラヴィンスキー、バッハ、ベートーヴェンなど多くの作曲家に精通していました。カーターと初めて会ったのは、私がバイロイトで《指環》を振った直後。そのとき彼は私に向かって、《ジークフリート》の第2幕への序曲のオーケストレーションについて話し出しました――彼の頭の中にはその全ての歌詞が入っていました。カーターは何でも知っていて、おまけに驚くべき耳の持ち主でした!」
     
     それもそのはず、彼はハーバード大学でアカデミックに作曲をしっかりと学んだのち、イギリスとフランスへ留学。ここで、後に世界最高の音楽教師として名を馳せるナディア・ブーランジェに師事し、フランス仕込みの高度な作曲技法を叩きこまれているのだ。
     
     留学から帰国後、若きカーターは当時流行していた「新古典主義」的なスタイルで、モダンかつ明晰な音楽を作曲しはじめた。この時代に書かれた《エレジー(哀歌)》(1943)という曲は、本来チェロとピアノのために作曲された作品だが、のちにカーター自身によって様々な編成に編曲された人気作だ(近年はヴィオラでの演奏が多い)。透き通った美しさを持ち、過度に叙情的になり過ぎないこの音楽からはカーターが元々どのような音楽性を持っているのかを素直に聴きとることができる
    だろう。
     
     その後、1940年代以降、ピアノソナタや交響曲、弦楽四重奏といった保守的なジャンルで大作を書き上げるのと平行して評論活動や大学で教鞭もとる等、アメリカ国内で実力派作曲家としての地位を確立していく。
     
     ところが、第二次世界大戦後の音楽の潮流は、ヨーロッパを中心にしてシェーンベルクによる知的な作曲技法を発展させた「前衛音楽 Avan-garde music」や、アメリカを中心にジョン・ケージによって後に「実験音楽 Experimental music と呼ばれることになる既成の音楽の概念を打ち破っていくような方向性が主流となっていく。つまり、若きカーターのような作風は時代遅れのものとなっていったのだ。
     
     1950年代にカーターは元々興味の強かったリズムの探求をより深めていくと共に、米国人でありながらもヨーロッパで研鑽を積んだバックグラウンドからか「前衛音楽」的な方向に作風をシフトさせていく。この転換が功を奏し、1960年には弦楽四重奏曲第2番でアメリカで権威あるピューリッツァー賞を受賞。50代となったカーターは円熟を迎え、アメリカを代表する作曲家として国内外で認知されていく。だが、この間1949~69年にかけて、完成した作品はわずか10作品。時間をかけて完成度の高い複雑な作品を手がけていたことがうかがえるであろう。
     
     1973年には2度目のピューリッツァー賞を受賞し、同じ頃ニューヨークフィルの音楽監督をつとめていたヨーロッパ前衛音楽の中心人物ピエール・ブーレーズによって作品が演奏されるようになっていくと、ヨーロッパでの知名度や評価も上がっていった。彼の複雑で難解な作品を演奏したいという理解者が増えていくなかで、それまで非常に遅かった創作ペースが次第に早くなっていったことは注目に値する。とりわけ90歳を超えてからも平均年4作以上のペースで創作を続けたことは周囲を驚かせ、更に尊敬の念を集めることとなった。
     
     彼の音楽が常に持ち続けた、モダンで洗練されてた上品なセンスは、アメリカで生まれ育ちながらもヨーロッパを意識しながら80年以上にわたって作曲を続けたモダニスト カーター自身を思い起こさせるだろう。
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